欲を捨てる

欲を捨てると言っても、そう簡単に捨てられるものではないと若い頃は思っていた。

しかし、老人になってしまった今では、大概のことは経験済みで、かつて夢中になっていたことも。

そんなに夢中になる程に欲しなくなってきている。

 

欲という漢字を眺めてみるに

谷という字と欠けるという字が組み合わさって出来ている。

本来の意味がどんなものかは知らないが

 

確かに欲とは何かが欠乏状態の時に発生しているようですね。

例えば性欲について

それが最も強いのは

青年になって結婚する前のことであろう

 

欲望は満たされてしまうと急激に減少する様におもう。

食べることができなかったひとが

食事を前にした時食欲は大きなものであったのが

食べるにつれてもうたくさんです。

と食べることを止める

 

金銭欲はどうか絶えずお金が欲しいと思うのは

それが欠乏しているからなのか

あるいはお金があれば今の我慢ならない状況から

脱出できると思うからなのか

 

いずれにせよ、欠乏の意識は心で感じるものである。

そしてそのアンバランスな意識は

バランスを求めて欲を募らせる

 

ではここで、自分を騙して、欲しいものがすでに手に入ったと

考えてみよう

 

それがお金の場合、たとえ口座に残高が数千円しかなかったとしても

0を四つ付け足して

数千万の残高があるのだと思ってみる

 

例えば4600円の残高の場合だと

46000000円の残高があると想像するのである

すると

埼玉県に新築の家を即金で帰る。

そんなに大きな家でなければ

ついでに電気自動車も買えるだろう

そうすると

住宅に対する欲もマイカーに対する欲も

なくなり心は平和で満たされるだろう。

 

それは現実に起こっても心はそうなるだろうし

その満足感は一時的なもので、人はまた新たな欲望を抱く。

 

そしてそれはキリがない。

だから現実におこってそうなっても、空想の結果そうなっても

大した違いではないのだ。

 

天下を取った秀吉が

死ぬ前に歌った様に

つゆとおちつゆと消えゆくわが身かな

難波のことは夢のまた夢

 

人生は夢の様である

古代アメリカ人が残した古文書にも書いてある。

 

でも何故自分はその欲望を抱くのか

冷静に分析してみることも大切だ

そして空想ではなく現実に

その谷間を埋めることができるなら

幸福感をあじわえるでしょう。

 

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